デザインとアート

デザインとかアートとかいう言葉は、いろいろな意味に使われます。
「生活をデザインする」とか、ちょっと面白い発想に対して、「それはもうアートだよ」と言うこともあります。
ただ、これは比喩的表現であって、本当のデザインやアートとはちがうでしょう。
論理学でいう「同名辞異義」ですね。

デザインとは、ある目的のために洗練された表現をすること、またはその表現のことです。
雑誌などのグラフィックデザイン、広告デザイン、工業デザインなどがあります。
実用性と同時にセンスのよさも重視されます。
すぐれたデザイナーにもそれぞれ持ち味があり、編集者は「この路線ならこの人に」という感じで仕事を依頼します。

ハイセンスなデザインや写真などは、アートとも呼ばれます。
と言っても、デザインは純粋な意味での芸術とはちがうでしょう。
また、画家やイラストレーターの描く絵が芸術であるとは限りません。
というよりは、真性の芸術表現には、めったに出会いません。 「現代アート」も、そのほとんどが真性の芸術表現のマネをした、どうでもいいもののように思います。
(芸術にも音楽、文学などいろいろありますが、ここでは絵画や彫刻のような視覚芸術に話をしぼります。)

芸術は「眼の冒険」です。
芸術家は人間を人間たらしめる「過剰なるもの」、バタイユの言う「呪われた部分」の化身であり、当然、先へ先へ進もうとします。

たとえば、現代という時代において、遠近法を使って風景や静物、人物を写生的に描こうとする芸術家はいないでしょう。 遠近法なんて、ニュートン力学の世界そのものですからね。

私たちの住む世界は、少なくとも空間が均質に無限に広がり、 どこも同じ時間が流れているものではないことがわかっています。
非常に微少ですが、1cm離れれば時間の流れはちがっています。1mmでもちがいます。
物質は振動する分子や原子から成り立ち、その分子や原子を構成する素粒子は生成と消滅を繰り返しています。
芸術家はふつう科学者の頭脳や哲学者の思考力は持っていませんが、科学者や哲学者に並ぶ認識力が備わっていますから、 真性の芸術家の魂を持っていれば、本能的に「次の空間での表現」へ向かおうとします。

幸運にして、ある日ぼくらは、全世界をたったひとつの記述ですますことができるかもしれない。 そのとき、それは、たったひとつの言葉、たったひとつの斑点かもしれない。 だけど、いまのところ、すべての記述は流産してしまう運命にあり、これでもか、これでもかと、表現を、少なくするのではなく、 ふやしていくしかないんだ。(ジャスパー・ジョーンズ)

そう、「次の空間」の記述は、たった一言で済むのかもしれません。
そのとき、私たちは、神人へ進化していくのかもしれません。

編集者の目を持つライター、hirosawa


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