詩の言語

言葉は、普通、何かを意味しています。
りんごと言えばりんごを指しますし、○野○子と言えば○野○子さんを指します。
ただ、こういう観念にあてはまらない言葉があります。
それは、詩です。
詩の言語は何かを意味しているのではなく、その詩そのものが“意味”になっています。
詩の中でも、少し難解なものから例を挙げてみましょうか。
安東次男さんの『CALENDRIER』より9月にあたる「食卓にて、夏の終わりに」です。

露を救うための
籠と
影を救うための
一個のパン
不動のものの周りに
正確に 輪をちぢめる虫たち
こころもち 内側へ向け替えられた
灯のもとで
予言のように 小粒になる果実たち
死んだ者たちを蘇らせるために
殺意なき者たちの殺意が
かえってリンドウの色を深くする
と 慌ただしい旅からまだ醒めきらぬ者たち
のあくびが
いっそう その色を深くする   (九月)

このような詩においては、学校教育の「現代国語」のように「影を救うための/一個のパンとは、どういうことですか?」などと問うても仕方がありません。
ただ、心と精神で味わえば、食卓の上に置かれたパン籠と、小さな灯りに照らされて黒々と伸びた影の中に小さく見える果実、それを囲む虫たちのようすが木炭画のデッサンのように浮び上がります。
そして、「殺意なき者たちの殺意が/かえってリンドウの色を深くする」の2行で緊張は最高度に達し、濃い群青色のリンドウが鮮烈にイメージされます。
最後に、「慌ただしい旅からまだ醒めきらぬ者たち/のあくびが/いっそう その色を深くする」で、詩人の目の旅は静かに終わります。

もうひとつ、同じく安東次男さんの『CALENDRIER』より11月にあたる「人それを呼んで反歌という」 を読んでみましょう。少し長いですが、よい詩です。

枝のモズは
垂直にしか下りなくなる
獲物を追うケモノは
もう弧を描いては跳ばない
道に忘れられた魚だとか
ケモノたちの隠し穴だとか
ころがっている
林檎の歯がただとか
じつにたくさんのものが
顕われてくる
十一月の自然は
いろんな形の鍵を
浅く埋葬する
裸の思想のあとに
もうひとつの
はだかの思考がやってくる
飢餓のくだもののあとに
ふかぶかと柄をうめる果実がある
その柄は
信仰のないぼくのこころを愕かせる
柄について考えよう
見える
柄について
見えない
絵について
重さの 上限と
軽さの 下限について
反歌という名の蔽われていない
成熟について
ゆっくりと考えよう
いま 神の留守の

一つの柄
一つの穴
一つの歯がた
いっぴきの魚
自然は じつに浅く埋葬する!   (十一月)

私たちも考えてみましょう。

「見える 柄」について
「見えない 絵」について
「重さの 上限と 軽さの 下限」について
「反歌という名の蔽われていない 成熟」について

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